商社論

かんべい先生のHPより。

”ワシが入社した1980年代には、商社というのは貿易をする会社だった。誰かと誰かをつなぐ仕事が中心だった。でも、そういう仕事はいずれなくなるだろうから、「商社不要論」とか「冬の時代論」とか「中抜き論」ということが言われていた。それから幾星霜。意外なことに、21世紀になっても商社は生き残っている。その間に貿易の仕事が減って、投資の仕事が増えた。鉱山だとか会社だとか農地だとかを買って、それでモノを売るという業務形態になりつつある。最近の証券市場では、「資源高だと商社が潤う」みたいな認識になっているけれども、これはごく最近の現象である。「貿易会社から投資会社への変身」というプロセスは、今も現在進行中なのでこの先どうなるかは分からないし、中にいる者としては、本当に成功しているかどうかもあまり自信はない。ただし、この変化はいかにも日本企業ならではだったなあ、と思うのである。
(1)これが欧米企業であれば、古い企業をつぶした上で、新しい企業を作るだろう。その方が手っ取り早いから。ところが日本の商社では、昔貿易業務をやっていた人たちが、今は投資業務をやっている。もちろん、外から人材を入れたりはしているのだけれども、基本的には以前と同じ人たちが、勉強しながら新しい仕事をやっている。
(2)「貿易から投資へ」という変化が、トップの決断や明確な戦略に沿ってではなく、現場の試行錯誤の結果として実現している。これがまた不思議なことに、すべての会社で似たようなことが起きている。正確に言えば、大手の方が中堅よりも戦略的にやっていると思うけれども、「貿易中心から投資中心へ」という業務の変容は普遍的に見られる現象である。
(3)さらに不思議なのは、こういう変化を担っている当人たちが、自分たちのやっていることに対してまったく無自覚であること。単に、毎期の決算を乗り越えることばかり考えていて、「会社の未来」なんて高尚なことは念頭にない。環境変化に適応しているといえば聞こえはいいが、見方を変えれば経営不在、戦略不在である。
こんな次第で、経営を取り巻く環境は激変しても、企業の中の人間関係は驚くほど変わらないままで、商社は余命をつないできた。要は組織を変えずに、仕事を変えてきた。それはこの20数年間で、われわれが無意識のうちに選択してきたことである。こうやって生き残っているところを見れば、そんなに間違った選択ではなかったのだろう。その昔、商社の未来についてはいろんな議論があった。「社内公用語を英語にする」「外国人を大胆に登用する」「本社を海外に移転する」など、いかにも、といった構想はたくさんあったのだけど、その手の改革はほとんど進まなかった。今でも商社はグローバル企業ではなく、典型的な日本企業である。おそらくこの辺は、今後もあまり変わらないんじゃないかと思う。以上、あまり威張れることではないし、この先も保証はないけれども、とりあえずわれわれは「商社冬の時代論」を乗り越えることができた。もちろん中に居た者としては、とってもスリリングな20数年間でしたよ。でも、「人こそ財産」という基本だけは変わっていない。このことは、少しだけ自慢してもいいのではないかという気がします。”

うーん。
かんべい先生は大好きですが、この分析はどーなの?勿論、かんべい先生自身が商社内部の方なので、色々難しいのでしょうが。。。

私の見立てとしては、株式会社「日本」の国際部最前線として、仲介業務だけで食えていた時代が、メーカー各社の成長と共に食えなくなった為、止むなくタネ銭を使って自らリスクを取らざるを得なくなっただけで、外部から見ていると「全然」投資と呼べるシロモノじゃない、と思うんだけど。